『キスの格言・7』
掌なら懇願
(フランツ・グリルバルツァー『接吻』より)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
行灯がぼんやりと部屋の中を照らしている。その傍には夜具が一組、中では男が女に腕枕をし、寝そべっていた。
女の胸元に伸ばした男の手は、女の手に阻まれた。
「頭領、添い寝をするだけという約束でしょう?」
女にとがめられた男は、
「しょうがないだろう、刃鳥の色香が俺を誘うから」
そう言い訳した。
少し時間をさかのぼる。
刃鳥が正守に、明日任地へ赴く時間が早いのだから寝てくださいと声をかけると、
「なんだか眠れないんだよね、柔らかいものでも抱きしめたらきっと眠れると思うんだけど」
などと正守が言って寝るのを渋るので、仕方なく刃鳥が添い寝をすることになったのである。
刃鳥は何もしませんし、何もしないで下さいと言い聞かせたのにも関わらず、正守は手を伸ばしてきて……ということであった。
「私は何もしていません。ただ横にいるだけです。早く寝て下さい」
刃鳥は正守に背中を向けてそう言った。しかし腕枕からは逃げなかったので、正守はそっと背中から彼女を抱きしめた。
「刃鳥は柔らかいし、優しい匂いがする。お前を抱きしめてるといい気持ちになる。これが癒されてるってことなのかな?」
気持ちよさそうな声で正守がささやくと、刃鳥はキュッと身を縮めた。その動きに正守は手を動かすのを止めた。
――好きだけど、抱きたいけど、嫌がることはしたくない――
男を押さえるのは難儀だが、刃鳥に嫌われた後のことを考えると、このくらいは大したことではなかった。
二人が動かないまま、時間だけが過ぎていった。そのうち刃鳥の耳に正守の寝息が聞こえてきた。
「やっと眠ったみたい……」
ホッとしたのも束の間、ここで自分が動いては正守が起きてしまうかもしれないと思うと、抱きしめられた格好のまま動くことが出来なくなっていた。
もう眠ってしまったのなら、何かすることはないだろうと考えて、刃鳥も睡魔に身を任せた。
背中が寒く感じた刃鳥が目を開けると、正守の腕が見あたらなかった。慌てて身を起こして周りを見ると、正守はあぐらをかいて刃鳥を見つめていた。
「あ、ごめん。起こした?」
そう言われて、刃鳥は時計を探して時間を確認した。時計が示していた時間は四時二十分を少しまわったところ。寝過ごしたわけではないと分かり、刃鳥はホッと胸をなで下した。
「頭領、よく……眠れましたか?」
自分が添い寝した効果があったのか、それが心配だった刃鳥はまずそれを聞いた。
「ああ、とてもよく眠れたよ。こんなに気持ちよく目が覚めたのは久しぶりだ」
正守は嬉しそうに答えた。安心した刃鳥は正守の身支度の準備をしようと身体を動かそうとしたが、正守の手がそれを静止した。
「聞いてくれる?」
そう言われて、刃鳥は正守の方を向いて居住まいを正した。
「俺の帰れる場所はここだけなんだ」
正守はそう言ったが、刃鳥は反論する。
「貴方が帰れる場所はここだけではないでしょう? ご実家だってあるわけですし」
しかし正守は首を横に振った。
「俺はあの家を出た者だし、ここが自分の家だと思っている。夜行にいる者は皆家族だと思ってるから、お前にはこの場所と家族を守って欲しい。そうしてくれるなら俺はどんな任務にも後ろ髪を引かれることなく出かけられる」
そう言いながら正守は刃鳥の右手を取り、掌を表にした。刃鳥は彼が何をしようとしているのかわからなかったが、その言葉に不安を覚えた。
「思いを残さず行けるなんて、帰ってらっしゃらないおつもりですか?」
うつむいたまま震える声で彼女はつぶやいた。
「そうじゃない。誰かが待っててくれるなら、どんな状況からでも諦めないで帰ろうって思えるじゃないか」
正守は迷いのない顔で答えた。正守はこれで刃鳥の表情が和らぐと思っていたが、反対に厳しい顔になっていた。
「頭領がお戻りにならなければ、どこへでもお迎えにあがります」
強い意志をたたえた目で正守を見つめながら、強い口調で彼女は言った。それを見た正守は彼女が返答に困るような質問をしてみた。
「黄泉の国でも?」
「ええ、もちろんです」
刃鳥は間を置かずに答えた。そう言われてしまっては正守も笑うしかなかった。しかし笑ったことで彼女は不満げな表情を浮かべた。
「ごめん」
正守はそう言って刃鳥の右手を引き寄せて、掌の真ん中に唇を落とした。その様子を驚いたように眺めていた刃鳥と目を合わせた正守は、少しはにかんでから真剣な眼差しになり、
「お前が迎えに来なくてもいいように必ず戻ってくるから、これから先もずっと傍にいて欲しい。自分勝手な言い分だけど、全てにおいて俺のパートナーでいて欲しい」
と強く求めた。
すると刃鳥は不意に正守の肩を押して身を倒し、その上に自らの身を重ねた。
「必ず帰ってきて下さい。皆の為にも……私の為にも」
そして正守の唇を優しく吸った。正守は刃鳥の身体に腕をまわして抱きしめ、
「今日の任務、そんなに難しいものじゃないよ。夕方には戻ってくるから」
笑いながらそう言った。
「今日だけでなくて、いつもちゃんと帰ってきて下さい。それから黙って出て行かないで下さい」
刃鳥は顔を横にずらして表情は見せず、真面目な声で言った。正守は答えるように彼女の髪を撫でた。
「……ん、刃鳥からこんなに積極的にされたら、劣情がこみ上げてきた」
少し照れながら正守が刃鳥に耳にささやいた。
「はぁ? 何おっしゃってるんですか? これから任務に出かけられるのでしょう? 冗談は止めて下さいっ」
刃鳥は正守に強く言ったが、正守はまだ時間はあるよと彼女を解放しようとはしなかった。どんなに刃鳥が力を入れて引き離そうとしても、正守の力にかなうはずもない。
はぁ、とため息をついて、
「お帰りになりましたらお相手致しますから、今は任務のことをお考え下さい」
あきらめ顔で言った。正守は了解したとばかりに笑みを浮かべ、刃鳥を自由にした。
身支度を整えた正守は、門のところで見送りに出てきた刃鳥に、
「早く帰ってくる。昨夜よく眠らせてもらったから、今夜は寝かせないよ」
と耳打ちしてから軽く右手を挙げて出かけていった。
その背中が小さくなるまで見送っていた刃鳥は困惑の表情でぽつりと言った。
「……どうしよう」
なんか無駄に長くなってしまった…orz
まっさんは良守に呼んでくれと言ってましたが、美希さんには待っててくれって言いそうですよね。しかし美希さんはあの気性だからおとなしくは待ってなさそうです。だからどこへでも迎えに行くと…
あくまでも対等であり、相手には少し弱い、そんな正刃も良くないか?
…良くないかぁ…orz
081031