『その感情の名前』

質素な部屋の片隅に置かれたベッドの上で重なり合っていた火黒と藍緋。後戯を味わうこともなく藍緋は火黒から身体を離し、ベッドの縁に座って脱がされた服を拾い上げながら身に着ける。火黒はそんな藍緋を見ながら、欲を吐き出したばかりの自分自身をズボンの中に仕舞っていた。

「用は済んだのだろう。早く出て行け」
藍緋はストッキングに足を通しながら淡々と言った。火黒は少し眉をひそめ、
「ヤりに来ただけじゃないんだけどねぇ」
と言い、衣服に包まれていく藍緋を惜しそうに眺めていた。
「じゃぁ、お前は何をしに来たんだ?」
その藍緋の問いに火黒は待ってましたとばかりに肩を抱き、耳元で囁いた。
「あんたと愛を語らいに」
藍緋は知っている。この男がそんなロマンチックなことを考えるような男ではないことを。だから「ほざけ」と一言呟き、火黒を突き放した。
もちろん火黒も藍緋に見抜かれていることは百も承知、けれどどうしても言いたかったのだ。
「優しくないねぇ。藍緋はさ、俺に気があるから抱かせてくれてんだと思ってたんだけどな。違う?」
火黒はそう言ったものの、これが正しくはないことを感じていた。予想通り藍緋の表情は何一つ変わらない。その顔を言葉だけで歪ませる方法を火黒は知っている。
「ああ、そうか。この人皮だと惚れた男の事を思い出すからかぁ」
品のない笑いを浮かべながら藍緋に嫌みを言った。瞬間、藍緋の目が鋭くなった。が、すぐにいつもの目に戻り、
「何も思い出さん」
そう言って髪に手をやり、手櫛で髪を整えながら何かを考えて始めた。

ふと指を止めて、火黒の方を向いて口を開いた。
「火黒。お前はどうして私を抱くんだ?」
火黒はニィッと笑って、
「藍緋がさ、抱きたいほどいい女だから、さ」
と言った。そして真面目な顔になり、藍緋から目を逸らして話し始めた。
「最初はただ女が抱きたくて、俺にかまってくれるあんたを犯したんだよなぁ。その後もあんたが拒絶することなく受け入れてくれたからさ、止めらんなくなったんだよねぇ」
藍緋はこの男に初めて身体を開かされた時のことを思い出し、苦い顔をした。その顔を見ることなく火黒は続ける。
「でもさ。あんたを抱くたびに自分が捨てたものを思い出すような気がするんだなぁ」
そう言った後に口をつぐんで何かを考え、いや、違うなと呟いた。
「そう、初めて感じる感覚に気付いたんだ。俺が欲しかったヒリヒリした感じじゃなくて、なんて言うんだろうな、あれ」
火黒はその感覚の名前を知っているのに、藍緋に言わせようとして遠回りな言い方をした。それに気付いている藍緋は口を開かなかった。
そんな藍緋に焦れたのか、火黒は藍緋の背中に身を寄せて、藍緋の胸元に手を滑り込ませた。

「さっきまでヤってただろう。まだ足りないのか?」
藍緋はため息をつき、呆れ顔でそう言った。そんな藍緋にこっちの方が呆れていると言わんばかりの顔をした火黒は、
「分かってないねぇ、藍緋。あんたさ、あの男とレンアイしなかったの?」
と言った。その言葉に藍緋はピクッと反応し、渋い顔になった。きっと図星だったのだろう。何かを言おうとした藍緋を気遣うことなく、火黒は言葉を続ける。
「俺はさ、藍緋の身体も欲しいけど、心も欲しいんだよねぇ」
彼女の胸元に伸ばした手を引く。
「何度抱いたら、俺のモノになってくれる?」
彼女を背中から抱きしめる。
「何て囁いたら、心を許してくれる?」
彼女の耳元に唇を寄せる。
「どうしたら、この人皮に向ける優しい目を俺に向けてくれる?」
火黒らしくない、切ない声で投げかけた。

「バカだな」
藍緋はそう言いながら、自分を捕らえていた火黒の腕を解き放った。
「外見が違えども、お前はお前だろう?」
藍緋が火黒に目を向けると、火黒は分からないという顔をしていた。藍緋は火黒のネクタイを掴み、引き寄せた。
「火黒。そんなに私の心が欲しいのなら、その人皮を脱いでこい」
そう言ってネクタイから手を離した。火黒はぐらりとベッドに倒れ込み、藍緋はベッドから降り、数歩歩いてから視線だけ火黒に向けて
「話はそれからだ」
一言言い残して藍緋は部屋を出た。

残された火黒はさっきまで藍緋が座っていた場所に手を伸ばし、残った暖かさを感じながら、
「わかんねぇよ、藍緋」
とつぶやき、彼女の出ていった先を見つめていた。


火黒と藍緋はストレートに愛だの好きだのは言わなそうだし、遠回りに表現させてたら、なんだか訳の分からんことに…
結局火黒は藍緋の言った意味が分かったんだか、分からんかったんだか。色々想像してみて下さい。
長らく描きたいと思ってたネタをようやくテキストに出来ました。マンガで描くつもりだったのを文章にするのは難しかったです。 080927