『練り香水』

部屋で動物園にいる熊のようにウロウロしている正守がいた。
ふと立ち止まっては袂に手を入れて何かごそごそし、またウロウロする。何とも奇妙な光景である。

正守の袂には街の和雑貨屋で見つけた練り香水が入っている。花の香りが多い中、見つけた柑橘の香り。
彼の脳裏には一人の女性が浮かんでいた。いつもほのかに柚子の香りを漂わせている人。その香りを嗅ぐと、正守はどうにもくすぐったい気分になってしまう。
『喜んで…くれるかな?』
そう思いながら購入した。
しかし遠出をした土産でもなく、プレゼントを渡すような特別な日でもない今日に、どういって渡そうか考えあぐねて落ち着かず、ウロウロしていたのが実情である。

「何してるんですか? ウロウロしていても仕事は片づきませんよ」
刃鳥の声に驚いた正守は激しくうろたえた。練り香水を渡したい相手がいきなり現れたのだから仕方ないのかもしれない。
「隠れておやつでも食べてた…とか?」
「いや、そんなことはしないよ。食べるんならちゃんとお茶を入れて、落ち着いて食べるから」
「本当ですか?」
「あれ? 俺って信用されてないの?」
子供っぽく笑う正守を見て、刃鳥もつられて微笑んだ。

「お茶を入れますから座って下さい」
正座をして茶を入れる刃鳥を見ながら、正守は袂の物をそっと取り出してふたを開け、薬指に柚子の香りを軽くこすりつけた。
香ばしいほうじ茶の香りに柚子の香りが遮られているからか、刃鳥はまだ気付いていない。
正守の前に湯飲みが差し出された。
「刃鳥、ちょっとそのまま動かないで」
正守の右手が刃鳥の顔に伸びた。何をされるのかわからないが、刃鳥は言われるまま動かなかった。
伸ばされた手は耳の辺りで止まり、薬指が耳の後ろに触れる。
少ししてから手が離れ、刃鳥にもほうじ茶とは違う香りが感じられた。
「柚子……香水ですか?」
「そう、練り香水。使ってもらえると嬉しいんだけど」
小さな容器を大きな手のひらに乗せて差し出した。その様子が妙におかしくて、刃鳥は笑わずにはいられなかった。

その笑顔に正守の押さえていた衝動が突き動かされた。
刃鳥の頬に顔を寄せて唇を軽く押し付けると、刃鳥の顔はみるみるうちに真っ赤に染まり、困惑の色を浮かべた。
「何をするんですか」
少し震えるような声で訴えると、正守はゴメンと返事をした。
「謝るぐらいならこんな事しないで下さい」
「刃鳥があんまり可愛い顔をするものだから、押さえきれなくて。でも迷惑だったろ? だからゴメン」
「頭領は気軽にこんな事をなさるのかもしれませんけど、私は……」
――余計なことを言った――
刃鳥は言葉の途中で口をつぐんだ。
いつもはクールな彼女が見せる慌てた仕草。もしかしたら自分しか知らない彼女の姿なのかと思った正守は、少しばかりの優越感を感じた。
「これは刃鳥へのプレゼントだから受け取って」
彼女の掌に練り香水を乗せて、そっと握らせた。

やっと渡せたと思った正守は一気に緊張が解けたのか、机に突っ伏してしまった。
「どうしたんですか? 頭領!」
「あ、いや。それを渡すのにどうしたらいいかずっと考えてたのに、自分の想像を超えたことをしてしまってさ」
ハハハと情けない声で笑う正守の頭を刃鳥はそっと撫でた。そして柚子の香りが近づき、正守の耳にチュッという音が響いた。
「ありがとうございます。お茶、冷めないうちにどうぞ」
刃鳥はそう言い残して部屋を出て行った。
残された正守はまだ熱い湯飲みを両手で包んで、
「ちゃんと言わなきゃいけないんだろうな、いつかは」
ぽつりとつぶやいてから、茶をズズッとすすった。


まだ告白すらしてない正→←刃。
もどかしい割に大胆というか、なんというか…(笑)
いつかじゃなくて、今すぐ言え!と自分で書きながら思ってしまいました。

ネットで見つけた柚子の練り香水は香りが入浴剤っぽいらしくて、イマイチ…?
それはちょっと美希様にはつけて欲しくないかも。 091016