『茉莉菊花』

「あーいひ、何やってんの?」
火黒が軽く声をかけながら藍緋の部屋に入ってきた。部屋主は振り向きもせず、
「暇だからっていちいち私のところに来るな」
と冷たく言い放った。しかし火黒は全く気にする素振りも見せず、ドンドン藍緋に近づいていった。
机に頬杖をつく藍緋の横に立つと、彼女の視線の先にあるモノに興味を持った。 硝子製の大きめな湯飲みとふた。その中にお湯が入っているために、内側に水滴が付いて少し曇っていた。湯の底には丸いモノが沈んでいた。
火黒は藍緋の顔と硝子の湯飲みを交互に見比べる。
「何が面白いのかわかんねぇなぁ」
ぼそりとつぶやくと、藍緋はため息をついて、
「興味があるなら黙って見てろ。まぁお前にはこれの良さはわからんだろうが」
と言った。何を聞いても藍緋は答えてくれそうにないと判断した火黒は、仕方なしに湯飲みを眺めることにした。

しばらくすると、底に沈んだ玉ははらりはらりと葉を開き始めた。
「なんだこりゃ」
火黒がそう口にすると、
「これは工芸茶といって、茶葉をまとめた中に花が入っていて、湯を注ぐと開くんだ」
と藍緋が説明をした。その間にも葉を開き、中から菊の花が出てきた。 玉が開ききったところで藍緋がふたを取るとジャスミンの香りが流れ、火黒は鼻をひくひくさせながら香りを確かめる。
「こんな匂い、嗅いだことないぜ」
首を傾げて一所懸命記憶の糸をたぐりながら火黒が言った。
「血の臭いしか嗅いだことのないお前が知るはずもないだろう。ジャスミンという花の香りだ」
藍緋はそう言って湯飲みを手にして茶をすすった。すると彼女は少し優しい顔になった。
――あんたのそんな顔、見たことないなぁ――
火黒はそう思った。
「俺さ、それの良さはわかんないけど、藍色の花は綺麗だと思うぜ」
そう言って部屋を出て行った。それを聞いても藍緋は彼の方を見ることなく、もう一口茶を飲んだ。


ジャスミン茶を飲んだときに浮かんだ話、一つ目。
妖なのに人に近い藍緋ならお茶をたしなんでもおかしくないような気がします。ついでに火黒が興味を持った花が藍緋だけだったらいいなぁ。 081019