『振り向いてみる』
霊術院からの帰り道。修兵は蟹沢の半歩前を歩くので、蟹沢はいつも斜め後ろからの顔を見ながら話をするのを少し寂しく感じていた。修兵は時々ちらりと後ろに顔を向けるが、すぐに前を見てしまうのだ。
並んで歩くのが嫌なら「帰ろうぜ」なんて誘わなくてもいいのに、蟹沢はそう思いながらも、一緒に帰れなくなってしまうのでは、と考えると問いただすことも出来なかった。
――恋人同士ならこんな風に思わなくても済むのに――
自分から気持ちを言い出すことが出来ないのに、勝手な考えをしていることは重々承知していた。
同期の中では将来を嘱望された優等生の修兵。蟹沢も同期の中では優秀な方だが、修兵はずば抜けている。蟹沢は追いつけるように努力を惜しまなかったし、そんな蟹沢に修兵は手を貸してくれていた。
自分に対してこんな風に優しくしてくれたら、気持ちが傾いたって不思議じゃない。蟹沢は時折そう思っていたが、修兵にとって自分はただの同級生なんだろうと考えていた。
「蟹沢、聞いてるか?」
修兵の声に蟹沢はハッとした。
「あ、ごめんなさい。考え事してて、聞いてなかったわ」
こういう時は素直に答えた方がいいだろうと蟹沢は思った。
修兵はしょうがないなという顔をして、もう一度頭から話をし始めた。
蟹沢は修兵のことを好きな女の子達には悪いな、と思いながらも二人っきりの帰り道は嬉しかった。これで目を見て話してくれたらもっと嬉しいけれど、それは贅沢だということは分かっていた。
けれどひとつ気付いてることがあった。修兵は半歩前を歩きながらも、ちゃんと蟹沢の歩調に合わせてくれていること。そんな風にされたらやっぱり期待してしまうのである。
――
「ねぇ蟹沢、知ってる? 別れ際に相手の気持ちが分かる方法」
以前、友人が現世の雑誌に載っていた記事の話をしていた時のことを思いだした。
確か、別れの挨拶をして背中を向けて歩き出す。数歩歩いたところで振り向いた時に相手が自分を見送ってくれていたら、自分のことを大事に思ってるということらしい。反対に自分が背中を向けた後、すぐにその場を立ち去るようならその程度なんだと言っていた。ホントにそうなのかと蟹沢は思った。
用事があってすぐに立ち去るってこともあるでしょう?と言ってみたが、ロマンチックじゃないと反論されてしまったのである。
――
あっという間にいつも別れる三叉路に辿り着き、蟹沢の嬉しい時間は終わりとなった。
「じゃあ、また明日な」
修兵は軽く右手を挙げる。
「うん、今日もありがとう。また明日ね」
蟹沢も右手少し挙げて小さく横に振る、いつもと同じ別れの挨拶。
そして蟹沢はいつものように修兵に背中を向けて寮の方向へ足を進める。
一歩。
二歩。
三、四、五歩。
六歩目で足を止めた。
修兵を試す事にためらいはあったが、蟹沢自身の知りたい気持ちの方が大きかった。
今振り向いて、修兵の背中が見えても自分の気持ちは変わらない自信があったから、心を決めて振り向いた。
その視線の先にいた修兵は……蟹沢を見ていた。
「蟹沢、どうした?」
修兵は少しビックリした顔をしていた。
「ううん、なんでもないの。檜佐木くん、いつも送ってくれてありがとう」
これ以上ないくらいの笑顔を向けて蟹沢は礼を言った。嬉しくて、嬉しくて、柄にもなく踊り出してしまいそうなくらい嬉しかったのだ。
このままではいつまで経っても修兵が帰れなくなってしまうことに気付いた蟹沢は、慌てて寮に向かって走りだした。
寮の門前に着いてからもう一度振り向き、三叉路の様子を伺うと修兵の背中が見えた。いつも見ている背中に何故か安心していたら、修兵の右手が軽く挙がり、掌が小さく左右に揺れた。
――檜佐木くんは何処まで私のことが見えているのかしら――
蟹沢には新しい疑問が浮上して、今夜は眠れそうになさそうだなと思った。
大分昔から書いてみたかった話です。このシチュエーションに当てはまることがなくて、ずっとお蔵入りしてたんですな。
修兵と蟹沢が仲良くはしているけど、付き合うまではいってない時になら、こんなジレジレシーンがあっても変じゃない気がするんですよね。
最後に背中を見せた修兵はきっと顔を真っ赤にしてそうな気がします。
081001